山一証券とは
山一証券といわれても、今の若い人は知らないと思います。
そして、私と同世代とか私以上の世代は、山一証券といえばご存知の方が多いと思います。
それは当時、野村・大和・日興と並ぶ、四大証券の一つとされていたからです。
創業は1897年と歴史がある証券会社で、戦後間もないときには四大証券の中で、トップの成績を誇っていた時期もありました。
そんな大手証券会社であった山一証券が、1997年に突然廃業を発表したニュースは、誰もが驚いたと思います。
山一証券が廃業した理由①
なぜ山一証券が自主廃業して倒産したのか?
それはまず「ニギリ」(握り)という行為を行っていたからです。
ニギリとは、証券会社が顧客の利回りを保証する行為です。
それは違法でしたが、当時はどの証券会社でも、公然と行われていたそうです。
そして、バブル崩壊後は株価が下がることになり、利回りの保証のために、損失を重ねることになります。
山一証券が廃業した理由②
また山一証券では「飛ばし」(とばし)という行為も行っていました。
飛ばしとは、損失が出ている有価証券を買い戻し条件付きで、時価とかけ離れた値段で、第三者に転売することです。
山一証券では、決算期で含み損を表面化させないために・・・
一時的に別の会社に有価証券を売却して、決算期が過ぎたら買い戻すということを繰り返していました。
それは、山一証券はペーパーカンパニーを数社作り、そこに飛ばすことで、帳簿上では損失を隠していました。
さらに、ニギリで利息を保証して、他の会社に有価証券を引き取ってもらう「ニギリ飛ばし」も行っていました。
最後に
それでも株価が上がれば、負債は帳消しになっていたのかもしれません。
しかし、バブルが弾けたことで株価は戻ることなく、山一証券は倒産することにます。
最終的に、山一証券の簿外債務は「2600億円」にもなりました。
また、負債総額は「3兆5000億円」と、日本金融史上稀にみる規模の破たんとなりました。
さらに、山一証券で大損させられた恨みを持つ顧客に、顧客相談室長が殺害されたり・・・
顧問弁護士の妻が殺害されたりなど、悲惨な出来事もありました。
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